山陰を旅行したのは、高校を卒業した春の頃である。NHKのテレビで観た湯村温泉の「夢千代日記」の影響が強いと思う。山陰ワイド周遊券を利用した。始発の大阪駅から、夜行急行「だいせん」に、同じ高校の友達と乗り込んだ。わたしは、小学生の頃からの鉄道ファンで、大阪駅に朝に行ってブルートレインの特急や急行列車の写真を撮っていた。その頃、カメラはCanonet で大学時代も使っていた。
高校の先生と相席になり、農学部は食いっぱぐれがない等の話しを聞いていた。車内をウロウロして、漫画の雑誌を見ていた。夜行列車は、子供の頃に急行「ちくま」で、長野県の黒姫のバンガローに泊った事がある。車内放送で、余部鉄橋のアナウンスを聞いて、車窓から覗いて観た。暗がりの中に、家々が霞んで観えた。鳥取を超えて、終点の米子に着く。
米子から特急に乗り換えた。しじみで有名な宍道湖や縁結びの出雲大社を超えて、島根県では岩の松の木々と白い砂浜がずっと続き美しい眺めだった。益田駅から山口線に入って、津和野で降りた。山口線は機関車が走るので、有名だ。小京都と言われる津和野では、レンタサイクルを、2 人乗りして、神社仏閣等を観て回った。高校の友達は、こんな所に連れて来てとか文句を言っていた。川の鯉や大奥などをよく覚えている。昼から秋芳洞を観に行った。カメラでは上手く撮影出来なかったが、鍾乳洞の規模は大きかった。その夜は、予約した国民宿舎に泊った。ハマチの刺身が美味しかった。風呂も広かった。
次の日は、長門市の青海島の景勝地をボートで観光した。小雨が降っていたが、海の青さと奇怪な岩々や波によるボートの揺れを覚えている。港では、海で採れた塩干物を売るおばさんが、声を掛けていた。昼から、萩で吉田松陰の旧邸を観たり、萩焼の茶碗を購入した。普通車で浜田駅に着いた頃には、夜も遅くビジネスホテルを予約して、泊った。高校の友達は、寝れずに、60′ 年代のフォークソングのテープを何回も聞いていたそうだ。
最終日は、鳥取砂丘を観に行った。砂丘の規模は思っていた程でもなかったが、ラクダも居て充分に楽しめた。鳥取駅前の魚屋で、その日に獲れたハマチの大きな切り身に、氷を詰めて持って帰った。友達は、甘えびを購入した。帰りの山陰本線は、特急に乗ったが時間が長く感じられた。しかし、帰宅して氷詰めにしたハマチは刺身にして、とろけるように旨かった。
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