ビジネスと聞けば、わたしは、まず商売、営業マンを頭に浮かべますが、仕事や職業の意味もあります。
今回は、冬に長野県の菅平高原のスキー場で、スキーのレンタル業をした話しを書く事にします。わたしが、フリーターで働いていた頃に、アルバイトの情報誌で調べて電話すると、まだいいですよと答えが返って来た。1 月15日からという事にして、大阪発の夜行バスで実家の奈良から出掛けた。バスからワゴン車に乗り換えて、朝に仕事場の宿泊地に着いた。
そこの専務と話していたが、そうかとしか答えが返って来なかった。朝食を食べて、他の人と話しをしていたが、レンタルと聞いてビックリしていた。隣の宿泊の建物の一階に、レンタルの事務所はあった。部長と話しをして、次の日から働く事となった。宿泊は、大部屋と2,3 人部屋があったが、大部屋に決まった。大部屋の連中は良くないと、後から聞いた。その日は、ゆっくりと寝ていた。夜はオシャレな店で美味しい食事をした。ラーメン屋が夜遅くに来て、食べたのを覚えている。朝、7時に隣の専務の新しい宿泊の建物で、食事をした。食事の美味しい所で、働けるのは嬉しい。食事が美味しくないという事で、帰ってしまう人もいる。
朝8 時から、レンタルの朝礼が始まった。関西系の乗りで、直ぐにあだ名をつけられた。その日は、ホテルの部屋にスキーのウエアーなどのセットされた袋を2t車で運んだ。3 袋も運ぶときつかった。用品の数などの確認をしていた。昼も美味しい食事で、昼からスキー板などの回収をした。兎に角スキー場は寒い。そこのレンタル業は修学旅行生を主に相手に仕事をしていた。会社の倉庫に帰って、スキー板やスキー靴をサイズで整理した。ジェット乾燥機をかけていた。スキーウエア等は、別の倉庫で乾燥していた。スキーのメンテを担当している人もいた。スキー場で学生の朝礼に行き、リフトで付いて行き、スキー用品をメンテナンスをするという仕事だ。レンタルの仕事は、毎日行われた。作業のズボンの修理は、女性の仕事だ。マイルドセブンをワンカートンお礼に渡した。
ローソンがあったので、生活に困らなかった。夜は、スキーやボードをやる人もいた。休みの日の午前5 時に起きて、スキー場のリフト場を登り、根子岳の頂上まで登った。頂上には、ヘリポートもあった。山小屋に行くと、ビールを2 缶貰った。一ヶ月働いて、25万円を稼いだ 。